霊能者の寝言☆先祖のお墓参りへ行くということは… ☆霊能者の開運霊視

霊能者の寝言

先祖のお墓参りへ行くということは…

人を植物に例えて考えてみてください。

植物が育つためには、天の恵みである陽射しや雨、そして肥沃(ひよく)な土地が必要となります。

天の恵みは神・仏であり、地の恵みは先祖に例えてもいいでしょう。

たとえ天の恵みがあったとしても、土地が痩せていたら、植物は育たないものです。

つまり、お墓参りなどの先祖を敬う行為が、土地を肥沃な大地へと育て、植物(人)を大きく育てていくものです。

ゆえに、お墓参りをしないような人が大きく育つわけがないのです。

お墓に亡くなったご先祖様の魂がいるわけではないのですが、
その魂を敬いに行く行為をご先祖様はちゃんと見ているものです。

そういうことをしている方には、自分を守っていただける守護霊といわれる先祖がついてくれるものです。

また、お墓参りに行くことによって、今まで知らなかったことに、気付かされたりもするのです。

今月はお盆の月でもあったので、 母の妹にあたる叔母のお墓参りに行ってまいりました。

叔母の一生を例えるならば、「我慢の人生」と言ってもいいでしょう。

叔母は学生時代とても成績が優秀だったので、校長先生自ら家に赴き、進学を勧めにきたぐらいなのです。

しかし、私の母が病弱だったために、多額のお金を治療費に充てなければならない事情がありました。

それ故、叔母は進学を断念し、飯坂の温泉旅館に勤めることになったのです。

その時に知り合ったのが、後の夫となる叔父でした。

当時、叔父には余命幾ばくも無いと言われていた本妻が居りましたので、
結婚できない事情があったのですが、お互いに深い縁を感じていたこともあり、
密かに二人の愛を育んでいたようです。

それがある時、本妻の知ることとなり、叔母は苦境に立たされることになりました。

本妻はというと、怒り心頭となり死に掛けていた身体は嘘のように持ち直し、
“絶対に生きてやる!!”というような執念が湧いてきたようでした。

今回お墓に行って墓石を見て驚いたのですが、叔母の死の翌年の冬、本妻は78歳まで生きていたのです。

よく、“憎いあいつより一年でも長く生きてやりたい”という言葉を耳にしますが、
まさにその通りになっていたのには鳥肌が立つ思いでした。

まさに執念ですよね。

気付いたことはそれだけではありませんでした。

叔母のお骨しか入っていないはずのお墓には、その他に3人の女性の戒名が刻まれていたのです。

不思議に思い、亡くなった時の年齢と祥月命日を計算してみたところ、
それら全ての人が叔父の奥さんであったことが判ったのです。

最初の奥さんを25歳で亡くし、次の奥さんを31歳で亡くし、次に私の叔母、
最後に本妻が亡くなっていたのでした。

なんと言うか、4人の妻を迎えることができた叔父は かなりいい男だったのでしょうけれど、
伴侶との縁はかなり薄い人だったのだと思うと、 ちょっと気の毒に感じてしまいました。

このように、お墓に行くということは、先祖の知られざる姿を目の当たりにすると同時に、先祖の生き様や苦しみを感じ取ることもできるのです。

これは単に、先祖の事だけとは言い切れないものがあるのです。

先祖の姿は自分の姿にも当てはまることですので、注意して墓石をよ〜く見てくださいね。

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