霊能者の寝言☆時を逸すると☆霊能者の開運霊視(人生相談の場所)

霊能者の寝言

時を逸すると

これはもう26年も前の話です。


私が七面山の神様にお尋ねをしながら登詣している時の事でした。


私が敬慎院でお詣りを終え歩いていたら「佐藤(日宗)さん!」と私を呼ぶ声がしたのです。

振り返るとそこには敬慎院でお勤めをしている仏師の方が立っていました。


そして、その仏師の方が「佐藤さん、この赤い実は食べられるのですよ!」とイチイの木を指さし教えてくださいました。


私がそのイチイの赤い実を取って食べていると、この仏師の方が突然「佐藤さん、人間同士のトラブルなどは謝る事ないですよ
。神様に対して失礼な事をしたならば、真剣に謝らなければなりませんけどね!」と仰ったのです。


私は驚きました。


なぜならば、私はまさに『人間同士のトラブルについて謝るべきかどうか?』を七面山の神様にお尋ねをしながら登詣していたからでした。


あの時ほど【七面山には神様がいらっしゃる】と思った事はありません。


私があの仏師の方にお会いしたのは、9月下旬から10月上旬の頃だったのでしょう。



とてもあの時の事が懐かしく思い出され、その後も何度かあの赤い実をたべたものです。


あれから26年が経ち、七面山の様子も変わり、山に登る人々の顔ぶれも変わってまいりました。


あの頃の私は何かを得ようと夢中で七面山という霊山を登っていたような気がします。若かったんですね〜。


今の私は無理をする事なく、楽しみながら息子(一徳)と共にゆっくり登詣しております。


がむしゃらに努力したからといって、何かを掴めるわけではないですからね。



ある時ふと気づいたのですが、私はいつの間にか五大弁天(厳島・天河・竹生島・江ノ島・金華山)と言われる所を全てお詣りしていました。

お詣りを続けていると、別に目指していなくてもこういう事があるのです。


お詣りをしていて感じた事ですが、生きていく上で気が強いとか弱いとかが問題になる事がありますが、
神様を信じていく上では、気が強いとか弱いとかなど全く関係ありません。


信仰は何かを信じる心が大事であって、その何かを信じる事が出来る者にだけ普通では考えられない不思議なモノが授けられるのです。


私が思うに、神は大自然そのものであり、その神の力を感じとれるかどうかというのは、霊力というよりもその人間の【素直さ】ではないかと思います。


信じる者は救われると言いますが本当だと思います。


とにかく【すべき事】をして、あとは天命に従う気持ちで生きると、不思議な事がまるで当たり前のように起こるのです。


【信じる心】・【信じる力】、そして一生涯続けていく事が大事なのだと思います。


盲目的に信じ込むのもどうかと思いますが、ずっと半信半疑のままで続けているのであれば、もう止めた方が良いと思います。


物事は信じて行動してこそ、目に見えない何かの力によって動くのです。



私はよく正夢を見る事があります。

例えば、夢の中に見知らぬ老婆が現れ、その朝に仕事先の家を訪ねたら、その家の仏壇の上に今朝方現れた老婆の遺影があったり、

江ノ島へ行った事もないのに、江ノ島の景色らしきものを見せられ、その日のうちに江ノ島へ行って確かめたら夢の通りで驚かされたり・・・、

ある時は金華山へ向かう前日に、海の近くにあるお寺へ行ってみたら、そこには十一面観音様が祀られていたという夢を見たので、
翌日そのお寺へ行ってみたら、本当に国指定の十一面観音様があったりするのです。



あの時は、わざわざご住職様が私たちを出迎えてくださり「普段は忙しくてこのお寺にはあまり居ないのですが、
こうしてお会い出来たのも何かのご縁というものでしょう。」と仰られて、何か深いものを感じたものでした。


やはり、大事な事はすぐにやる事が成功の秘訣なのです。


▲このページのTOPへ

画像【霊能者の寝言】へ戻る