縁は縁を生む


相談者の中には「どうも、なかなか人生が思うように行かない・・・何故なんだろう?」という方々が私のもとを訪ねて参ります。


そんな相談者の中に「こんな性格だから、駄目なんでしょうね・・・」とか「性格は直りませんものね・・・」と、つぶやく方がいます。


しかし、人生とは自分の努力で作り上げて行くものですから、性格だって修正して行く事は可能なのです。


今から40年前の私などは【信仰】という言葉自体にピンと来ていませんでしたから、
神仏にお詣りする時は特別な想いがある時だけとしか考えた事がありませんでした。


私が実際に山梨県身延町にある七面山を登詣し参籠した時も、一緒に泊まっていらっしゃった方々が、
色々な日常の出来事や修行して来ての体験を聞かせて下さっても「へ〜・・・」という程度にしか捉えられませんでした。


その時参籠していた方の中には、毎朝2時に起床して四方八方の神・仏にお詣りしてから、一日が始まるという方が居りました。


当時の私はその方の顔色を見て、浅黒い顔をしているし、目も充血していましたから、私には不健康にしか見えませんでした。


それから5〜6年が経った頃、この私が夜中に家を出発し、伊勢神宮や出雲大社そして北海道から九州まで、車を運転しお詣りに行っているのですから、
人間というものは変わるものです。


私の座右の銘は【人間到る処、青山有り】なのですが、この意味は「人間どこで死んでも骨を埋めるぐらいの青々した山はある!」というものです。


志を天下に求め、どこで死んでもいいつもりで、大いに活躍する事を言います。


私はこの暗いご時世であっても、心豊かに志を高く持って、才能を生かし適材適所で自分の能力を発揮していけば、
より良い国、より明るい世界を築いていけるのではないかと思っています。


これは私の持論なのですが、何かをしようと志したとき、人間は一人では何も出来ません。


しかし、志を同じくする者たちが一人、二人と増えていき、共に生きていく事が出来る仲間が集まった時には、大きな何かを成し遂げる事が出来ると思うのです。


誰にでも前世(過去世)というものがあり、前世において共に生きた人たちがいた場所・神社・仏閣等に足を運ぶ事によって、
目に見えない【何か】が動き始めるのです。



私は以前【桓武平氏】で有名な桓武天皇の御陵へお詣りに行った事があるのですが、

その時にお世話になったタクシーの運転手さんの先祖が【平家の末裔】で、平 時忠公の家来だという事を聞かされて驚いた事がありました。


今の石川県方面に落ち延びた平家の武者たちは、平の姓を隠すために、例えば『平 時忠』であれば、名の『時忠』を姓に変えて『時忠 ○○』と名乗ったそうです。


縁とは本当に不思議なもので、平家関係の供養をして歩くと、その後に先祖が平家の方や、前世が平家の武者だった方などが集まって来るのです。


ある時、南北朝時代の後醍醐天皇や足利尊氏公に関連する神社・仏閣・お墓などをお詣りして来たのですが、

すると、早速その関係の人々が霊視を受けにやって来ました。


お詣りへ行ったという【縁】が【縁】を呼ぶのです。

前世や過去世において、共に生きたり共に仲間として戦ったりした人々のお墓参りをする事によって、その時代の生まれ変わりの人々が集まって来るのです。


皆さんも是非【魂の結びつき】の不思議さを味わってください。





目次へ戻る